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あれから20年、解決を願う
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による拉致疑惑がある特定失踪者中村三奈子さん=当
時(18)=の早期発見を目指す集会「特定失踪者と拉致問題を考える市民集会‐中村三奈子さ んをさがす会集会‐」が9月9日、アオーレ長岡C棟市民交流ホールB・Cで開催になる。主催 は「中村三奈子さんをさがす会」(代表=金井英雄さん・75)、共催は長岡市。
合わせてジャーナリストの石高健次氏(拉致についての著書多数)が「米朝首脳会談で拉致被
害者・特定失踪者は生還できるのか?」をテーマに話す。
同集会に先立って、8月24日、25日開催の第66回日本PTA全国研究大会新潟大会でも署名
活動をしており、2日間で約500人の署名が集まったという。主催者では事件の早期解決を目 指して、大勢の市民が集会に集まるよう、呼びかけている。
判明している事実は韓国へ入国したことだけ
中村三奈子さん(当時18歳)は2003(平成15)年7月、特定失踪者問題調査会から「北朝鮮
による拉致の可能性を完全には排除できない失踪者」として認定されている。
三奈子さんは1998(平成10)年4月6日から行方が分からなくなった。当時、新潟県立長岡高
校を卒業したばかりだった。4月7日に新潟空港から韓国・金浦空港への出国記録、さらに韓 国への入国記録があるがその後の足取りは分からない。パスポートの期限が切れた現在も同 国から出国した記録はない。
長岡市内では2003年に「中村三奈子さんをさがす会」が結成され、新聞やインターネットなど
で情報の提供を呼び掛けてきたが、いなくなってからすでに20年が経過。それでも解決の兆し が見えない。
04(平成16)年10月15日、蓮池薫さんや曽我ひとみさんが日本に帰ってきてから以降、拉致問
題は進展がみられないままである。政府が認定した拉致被害者だけを採りあげても、横田め ぐみさんはじめ、帰国できない被害者は多い。しかも核ミサイルの問題などもあって北朝鮮の 対応は「拉致問題は解決済み」との姿勢が強い。政府の拉致問題担当大臣は短期間で変わ り、国としての強い意志が感じられなくなってきた。関係者に焦慮は深い。
当初は家出との受け止め方も
そうした中で拉致疑惑がある特定失踪者とされる中村三奈子さんの問題は、身近な拉致問題
になっている。
同さがす会の代表を務める金井さんは、「警察は当初、家出人扱いのようだった」と語り、そう
であれば「1年くらいで解決すると思った」という。
母親のクニさんは、三奈子さんの高校の同級生に電話をしてみたり、自身の仕事と並行しなが
らさがしたりした。しかし、三奈子さんからの連絡はなかった。「(警察は)18歳を過ぎて財布を 持っておれば、2?3日すれば帰ってくる」と話したという。まさか北朝鮮が絡んでいとは思わな かったのだろう。三奈子さんは同署の生活安全課の「家出人」となっていた。
だが三奈子さんは5年経っても見つからなかった。そこで公開捜査をしようと言うことで、同さが
す会が設立されることになった。
第1回の会合(設立総会)を15年前に川崎公民館で開き、金井さんが代表に就任した。
消息を求めて韓国へ何度も行った
クニさんによれば、踪当時、三奈子さんの部屋のゴミ箱からちぎられたレシートが見つかったと
いう。レシートをくっつけると、パスポート用写真のレシートだった。1998(平成10)年3月に本 人がパスポートを申請し、4月3日に取得していたのである。また同日、旅行会社へ「中村三奈 子」と名乗る24?25歳のハスキーな声の女性から、韓国への往復航空券の依頼があったとい う。そして4月7日、新潟空港で派手なブラウスを着用した三奈子さんとは思えない女性が航空 券を受け取り、人をさがしている様子で搭乗口へ向かった。荷物は少なかったという。
県庁内の旅券センターでクニさんは、パスポート申請の控えを見せてもらった。控えの文字は
本人の筆跡だったという。パスポート取得は長岡市でもできるのになぜ、とクニさんは感じてい る。そして「一度も海外旅行の経験が無い三奈子が一人で韓国に行くはずは無い」という。クニ さんは三奈子さんをさがして今まで10回以上韓国を訪れている。韓国に行くときは「三奈子さん が大好きだったおはぎを作って持って行く」という。「あの子(三奈子さん)に会ったとき、あの子 の大好きだったおはぎを食べさせたい」からである。しかし、娘のことを思う母の想いはいつも 空しかった。
協力してくれる現地の人に対しては「本当にありがたい」と感じている。「やっぱり頼りになるの
は警察。何もない中でどうしたらいいのか、という気持ち」とクニさんは語る。
クニさんを支援し支えていきたい――さがす会
さがす会代表の金井さんは「自分の娘と三奈子さんとは小学校3年生まで川崎小学校に通っ
ていた仲」という。さらに金井さんが、川崎小学校のPTA副会長を務めていた時に母クニさん は同小学校の教諭であって、以前から顔見知りであった。こうしたことから、周囲の懇請を受 けて代表を引き受けたという。そして2004年11月21日から23日まで、クニさんと共に韓国へ 行って三奈子さんの捜索をした。
金井さんは「今後も母クニさんを支援し支えていきたいと思います。クニさんは、一人で頑張っ
ていますのでね、長期戦ですので精神的ダメージも大きいと思います、ノイローゼにさせない為 にも周りが助けていかなければ」と話す。そして「当たり前の人生なんてない、感謝の人生と言 うことをつくづく感じる」と話している。
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