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No.1005:夏目漱石没後100年

(12月27日分)

今年の12月9日は夏目漱石没後100年だった。漱石は『ぼっちゃん』『三四郎』などの名作を
世に出し、俳人としても名を馳せた。千円札のデザインにもなった▼漱石は、文章を書くとき冒
頭の1字を下げた。改行のときにも1字下げをした。このような文章作法は、明治時代の翻訳
モノや、論文で始まったらしい。それが庶民にも広がったのは、漱石の影響が大きいようだ。そ
の始まりは『吾輩は猫である』と聞いた▼この小説は当初雑誌『ホトトギス』に連載になったが、
最初は1字下げをしなかった。だが連載途中(第3章)から、行頭を1字下げた。早稲田大学の
宗像和重(むなかたかずしげ)教授が指摘する。漢文の行頭はいつも揃っているから、1字下
げは画期的だった。日本語の文章表記に漱石は大きな影響をもたらしている▼その弟子の一
人が『法城を護る人々』などを著した松岡譲である。松岡は長岡出身で漱石の長女筆子さんと
結婚する。その4女が作家半藤一利氏に嫁いでいる。半藤氏の父祖は長岡藩士という。漱石
没後100年に、長岡人の系譜を改めて思い起す▼とはいえ昨今では1字下げの作法も乱れ、
文章標記も変わってきた。「敬具」が行の先頭にあったりすると言葉を失う。そうしたなか、「ロ
ンドン漱石記念館」が閉館した(9月)▼同館は漱石研究家の恒松郁生(つねまついくお)さん
が私費で開館。漱石のロンドン留学当時の資料を展示していた。没後100年の年に記念館が
消えるのも、何かの因果だろうか▼今年も1年が暮れようとしている。(とけいそう)

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