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No.1072:小林一茶の遺産相続
(9月28日分)
秋冷の候。星空が美しい時期になった。だが厳しい冬が近い季節でもある。日本人はその束
の間に、月の美しさを愛でた。小林一茶(1763〜1828)は「名月をとってくれろと泣く子かな」
と詠み、幼な子に託して満月の美しさを詠っている▼日本では古来、月の満ち欠けを暦にし、
満月を愛でてきた。この習慣は中国の行事(中秋節)が輸入される以前から、日本固有の習
俗であったらしい。「二十三夜待」「二十六夜待」「立待」「臥待」「更待」等、全て月の美しさを愛
で、日本人のDNAになっている▼名月の輝きには居住まいを正させる何かがあるのだろう。
「中秋の名月」はこの時期の満月をさす。多くの俳人や歌人が気品高く、風雅さに満ちて詠って
いる。だが、冒頭の句を詠んだ一茶は、かなり庶民的な表現をする。「雀の子そこのけそこの
けお馬が通る」「雪とけて村いっぱいの子どもかな」は過ぎていった日本の原風景だろう。だか
ら「淋しさに飯をくふなり秋の風」や「うつくしや障子の穴の天の川」などは、田舎のおっさんを彷
彿とさせ、哀愁を感じさせる。「うまさうな雪がふうはりふうはりと」など、一茶は貧しかったのか
▼15歳で故郷を出奔した。放浪の果て24年後に故郷へ戻る。そして重篤の父親から遺産の半
分を与える旨の遺書をとった。だが四半世紀の間、留守を守った継母は納得しない。ついに訴
訟まで起こして51歳の時、柏原宿の家を毟(むし)りとった。そして果てた▼人の生き様も凄ま
じい。それを見つめてきた名月の季節が始まる。(とけいそう)



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