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悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.1079:八丁沖を渡る
10月31日掲載

戊辰戦争の時、落城した長岡城を奪還するため長岡藩を中核とする同盟軍が「八丁沖」を渡
って城を取り返す。街灯のない時代である。深夜に沼を渡るなど、狂気の沙汰である。方向を
見失って、兵は沼に消えるだけだろう。長岡城奪還は無理でないか▼新政府軍も同じ思いだ
った。奪取した城を取り返されてはならないと、警戒を厳重にしていたが、まさか「八丁沖」から
来るとは考えない。たかをくくっていた。そこに突如として同盟軍が現れた▼河井継之助はこの
時「進んで死すべし、退いて生くるなかれ」と全軍に檄をとばした。城を奪還できなければ、兵
は野に斃れるだけである。長岡城奪還がなければ、一方的な負け戦になる。奪還の成功は、
長岡藩の輝き、武士の面目である▼だが漆黒の闇は敵の目をくらますとはいえ、方向を見失
うリスクがある。少しは明るかったのか。月は出ていたのだろうか。こうした疑問に答えてくれた
のが天文マニアの渡辺信夫さん(長岡市内でコンビニを経営)である▼渡辺さんは作戦決行の
1868年7月24日午後10時(太陽暦では9月10日)の月の出を実際に計算した。そして午後11
時18分に東山連峰の山の端に昇ったと断定する(『河井継之助記念館友の会会報19号』)。位
置からして、月を左後方に見ながら進めば、渡河できる▼天空の動きは今も昔も変わらない。
あの時の月は下弦の月。「八丁沖」は距離にして約4`b。これを渡り切る4時間を、天空の
月と星々が進路を照らしてくれた▼もうすぐ開府400年。人の生き様はすさまじいが、天空は
変わらずに見つめ続けている。(とけいそう)


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