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悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.1092:「あれはやけぱっちだよ」
(12月21日分)

太平洋戦争の開戦は1941年12月8日だった。この日、海軍は真珠湾に停泊中のアメリカ海
軍主力を奇襲。赫々たる戦果を挙げた。日本国中が湧いたという。これを指揮した山本五十
六海軍大将(長岡出身)は国民の輿望を一身に担うことになった▼同時に陸軍はマレー半島
を南下。イギリス極東軍の中枢であったシンガポールを占拠し、長いアジア支配にくさびを打ち
込んだ。陸軍の目的は石油の確保。真珠湾はその陽動作戦との説もある▼当時すでに海軍
艦船は石油で動いていた。ゼロ戦などの航空機も同じである。これが無ければ全てが動かな
い現実のなかで、国産の石油はゼロに近かった。しかも開戦に踏み切る直前の日本は、英米
など列強から最後通牒を突き付けられていた。その内容は中国大陸からの撤兵であり、石油
の全面禁輸だった▼「石油の一滴は血の一滴」と備蓄に励んでいたが、これでは戦争しても負
ける。マレー半島での陸軍の成功が不可欠だった。真珠湾攻撃は華々しいが、歴史作家の半
藤一利氏は「あれはやけぱっちだよ」と語っている。五十六にしても成算は無かっただろう▼巷
間伝わる意図は「最初の一撃で大打撃を与え戦争を早期に終結させる」である。だが、アメリ
カ駐在経験がある五十六がそのような甘い見通しであったとは疑問が残る。半藤氏の見解は
真実に近いかもしれない。厳しい経済制裁が日本を追いつめた▼翻って今を見ると、北朝鮮
は当時の日本のようだ。もし、やけぱっちで核が日本に向かったら。全てが杞憂であることを
願いたい。(とけいそう)


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