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悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.1102:「国技は「相撲」」
悠久録No.1105
(2月6日分)

国歌が「君が代」で、国花は「桜」である。同じように国技は「相撲」である。日本の伝統的文化
を強く保持し礼節を重視する▼大相撲が「国技」になったのは明治42年という。当時両国に大
相撲常設館が竣工し、お披露目は同年6月2日に決まった。建設実行委員長は明治の元勲板
垣退助だった。板垣は常設館の名称を「角觝(すもう)尚武館」と提案していたが、力士の皆さ
んは気に入らなかったようだ▼なかなか決まらなかったが、お披露目の4日前に急遽「国技
館」に決まった。当時の人気小説家が書いた挨拶文中に「相撲は日本の国技にして」とあった
という。これに当時の役員だった尾車文五郎が気づき、一気に「国技館」に決まった。板垣の
名声も無視され形なしであった▼自分たちを「国技」に格上げした力士の皆さんは、意気軒
昂、先見の明は見事である。とはいえ他からクレームは出なかったのであろうか。剣道や柔道
など、日本には昔からの武術は多いはずである。だが、いずれも納得。本家争いは起きなか
った。相撲は当時から一目置かれていたのであって、おのずから「国技」に値していたのだろ
う。今では押しも押されもせぬ国技である▼その国技で横綱日馬富士が貴ノ岩へ暴行した。暴
行を止めなかった横綱白鳳も不評である。相撲界は以前、ぶつかり稽古で新潟市出身の若い
力士を死なせてしまった(新弟子リンチ死事件)。その反省は実っていないのか。相撲界に激
震が走った▼新理事も決まったことでもある。新たな体制で「国技」を盛り上げて欲しい。(とけ
いそう)


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