長岡新聞・悠久録No.1171:「出羽・上山藩の米百俵」

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長岡新聞・悠久録No.1171:「出羽・上山藩の米百俵」

驚いた。江戸時代のことである。天保年間(1830年代前半)に江戸4大飢饉の一つ「天保の
大飢饉」が起きた。このとき当時出羽国・上山藩の領地(飛び地)だった三島地域が、約1万4
000俵の救援米を藩に届ける。自らも飢饉に苦しんでいただろうにと、その気概に驚嘆する。
上山藩の支配下にあったとはいえ、一揆も起こさず、良く藩のために耐えた▼このときの飢饉
は全国的だった。大阪では毎日、150人を超える餓死者が出たという。徳川幕府は救済のた
め江戸市中21ヶ所に御救小屋を設置して、救済につとめた。全国的な飢餓は、なかでも陸奥
国(今の福島・宮城・岩手・青森県など)や出羽国(今の秋田・山形県)でとくに酷かった。出羽
の上山藩も惨状に苦しんだ▼そこに届いた救援米は万を越え、上山藩の領民のみならず隣
藩の住民をも救った。上山藩はこれに深く感謝する。1865年(慶応元年)、救援米のお礼とし
て藩校「明新館」の支館を建て、子どもらの教育にあてた。もちろん教師も派遣した。これが現
在の長岡市立日吉小学校に繋がっている▼驚くことはまだある。上山藩藩主の子孫(現早稲
田大学研究員・埼玉県在住・40代)は先祖が受けた恩義を忘れない。そして同校に毎年国語
辞典などを個人で贈り続けている。同小学校の子どもらが修学旅行で上京の際は、早稲田大
学などを案内する。三島地域恒例の丸太早切選手権大会に上山市の小学生らと共に参加も
した。招きに応じて同小学校で講演もしている▼先祖の感謝を持ち続ける心も凄い。(とけいそ
う)

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