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悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.841:風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかに
とやせん

(3月21日分)

3月は新たな出会いの時であり、別れの時である。卒業や社会人としての就職がある。辞令を
受け取っての転勤には別れと出会いがついてくる。悲喜こもごもの3月は、人生の転機を生む
▼その3月はお彼岸(ひがん)の時期である。昼夜の長さが均等になる日を中日(今年は本
日)としてその前後3日間を彼岸という。彼岸は煩悩を超えた悟りの境地であり、煩悩に拘泥し
て生死流転に迷う人生が此岸(しがん)である。願わくば、彼岸に到達して清らかに生きたいも
のであるが、煩悩は限りない▼「暑さ寒さも彼岸まで」ともいう。1年のちょうど中間点に天体の
運動が来る。明らかな季節の転換である。この日を境に季節は明確に春の訪れになる。「風さ
そふ花よりもなほ我はまた/春の名残をいかにとやせん」と浅野内匠頭長矩(あさの たくみの
かみ ながのり)が詠ったのは、3月14日だった。江戸城松の廊下で引き起こした刃傷事件で
播州赤穂5万3000石を失ったのであるが、大石内蔵助(おおいし くらのすけ)以下、忠臣47
人のおかげで世に名を残した▼旧暦の3月14日は今の4月中旬であろうか。江戸府内は桜の
花で埋まっていたことだろう。そのあでやかさの中で35歳の命を終えた長矩。そのような人の
哀しみも3月にはある。長矩が遺した和歌には、柔らかな春の気配を濃厚に示しながらも、
様々な思いがこもっている▼弊紙では短歌、俳句の欄を「悠久文芸」欄に設ける。これで川柳
とともに、愉しみの世界が広まる。読者諸兄の様々な思いをお待ちしています。(社主)

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