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No.848:春眠暁を覚えず
(4月25日分)


中国・孟浩然の詩『春暁』に「春眠暁を覚えず」の一節がある。今の時期は穏やかな陽気のた
め、朝になっても目覚めない。心地よい眠気を指す。似た言葉に「蛙の目借り時」(かわずのめ
かりどき)がある。カエルは人の目を借りるという。そして元気いっぱい、にぎやかに合唱する
▼だが、眼を獲られてしまっては、人は何も見ることはできない。眠りこけて朝になったのも気
づかない。雪国にとっては待ち焦がれた春であるが、これでは何やらふがいない。「目借り時」
は実は「妻狩り時」(めかりどき)である。春は異性を求める季節であり、カエルたちの大合唱
は「妻狩り時」の真っ最中になる▼春は5月に向かって駆け足である。思えば「余寒」とも「春
寒」とも、肌寒い日があった。雨風に「遅春」(ちしゅん)をかこち、「春めく」のを待ったのは、つ
いこの間のことである。「長閑」(のどか)に、「うららか」に、「花時」(はなどき)の春を迎え、桜
を堪能した。そして春の柔らかな陽光が、初夏の風情に代わる▼。だがあまりに心地よく眠っ
てしまえば「鷹化して鳩となる」。あるいは「龍も天に登る」という。猛禽の鷹も鳩になっては、迫
力がない。春の陽気に誘われて天に戻ってしまえば、龍の威力はない。これでは形無しであ
る。爛漫とした花で埋もれた4月は歓喜であった。「春深く」、「暖かい」日差しが満ちていた▼
明日は長岡市会議員選挙。大きな争点がないように見えるが、やはりここは目を凝らしたい。
カエルに目を貸すのはしばし取止めの日である。(とけいそう)

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