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悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.854:「絶えず人いこふ夏野の石一つ」

いつの間にか田んぼに水がはいり、夜になると町の灯が水面に映えていた。月が天上と田ん
ぼの双方にあって、実に美しい。早苗が初夏の風にやわらかく揺れ、越後路の5月は胸を締
め付けてくる。「夏めきて人顔見ゆるゆふべかな」成美▼すぐに緑の濃さが増す。新芽の時は
なぜか白く見えた木立の緑も、暑さと共に濃くなっていく。緑の影を強く引きながら、夏に向かっ
て季節の足音は力強い。百草は生い茂り、日光の直射は厳しくなる▼俳人正岡子規(1867
〜1902)はこのような季節を「絶えず人いこふ夏野の石一つ」と詠った。夏野は緑濃い夏の
原である。「五月野」とも「青野」ともいう。そのような夏の原は、意外に静まり返っている。聞こ
える音は何もないのかもしれない。ただ太陽が暑く照りつける▼命が無い石はそこに存在しな
がら、何も語らない。ただ行き交う人が憩うだけである。そしてその点で石の存在感がある。春
でも、秋でも、この石の存在感は無い。もちろん冬では駄目である。ただ夏野だけが存在感を
際立てる。俳人で国文学者の加藤楸邨(1905〜1993)はそのように評価しする▼一つの石
が存在感を示す。人はそこで憩うことに、子規は何を語りたかったのか。単なる風景の描写な
のか。世情の全てが一色になるとき、本当に真実を示し存在感を主張できるのは、実はたった
一つの頑固な石(意志)であるといいたかったのか▼夏の緑は韜晦(とうかい)としている。「水
臭き夏野の石に腰をかけぬ」(永田耕衣)。(とけいそう)

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