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悠久録(過去の悠久録はこちら)
(9月12日分)
活字は読者との会話である。時に叱正を、時に励ましをいただく。このうえなく刺激的である。
過日は芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」についての記載(悠久録・8月22日掲載)に、読 者から丁寧なお手紙をいただいた。紙上を借りてお礼申し上げたい▼「荒海や――」の句は1 689(元禄2)年3月、芭蕉が東北の旅に出た際、出雲崎で詠んだという。同行した門人の曽 良(そら)は克明な旅日記(『奥の細道』)を残したが、なぜかこの句の背景は何も記録がない。 だが佐渡は日蓮上人、世阿弥、順徳天皇らが流された土地である。その歴史を芭蕉は知って いただろう。ちょうど七夕の時季であった。流人の悲哀に重ねて年に一度だけしか会えない七 夕伝説を重ねれば、日本海は想いを阻む「荒海」になる▼ご指摘は、そのような芭蕉の心を示 す「銀河序」(ぎんがのじょ)があるという。しかも全文が歌碑として芭蕉園(出雲崎町)に建つ。 門人許六(きょりく)が編んだ『風俗文選』に寄せた一文で、「大罪朝敵の人々遠流の境――」と 述べ「荒海や――」の背景を語った一文である。旅の最中は発句の前後について多くを語らな かった芭蕉である。だが夏の日本海の向こうに、流人の慟哭を聞いたのは確かであろう▼歌 碑は、出雲崎の文人佐藤耐雪翁が自費で建立した。完成した日は昭和29年7月4日。この日 は芭蕉が出雲崎を訪れた日という。耐雪翁は良寛堂を建立し、芭蕉の歌碑を建て、先人の遺 徳に深い敬意を払っていた。ご指摘のおかげでいろいろ知ることができた。(とけいそう)
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