長岡新聞:トップ
社主のプロフイール 
購読の申込みメールでOK。 1か月1851円です。
新刊案内『長岡築城物語』、『いい湯めぐり温泉紀行』:詳しくはこちら
川柳、俳句、短歌に投稿しませんか:詳しくはこちら

悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.879:「読んでから見るか」「見てから読むか」

(9月26日分)

天才と呼ばれる人は少ない。その天才を見出す人はさらに少ない。「読んでから見るか」「見て
から読むか」のキャッチコピーで一世を風靡した角川春樹(角川書店社長=当時)は、新人の
素質を見抜く力が抜群だった▼新人を見出して映画を制作、本を売った。だが、そのスキーム
には反発が大きかった。「本の宣伝のために映画化するのか」と、その商業主義を非難され、
「本は文化財である」と批判を受けた。仕事を拒否する映画人も多かった。時代は角川にとっ
て、必ずしも追い風ではなかった▼それでも監督を引き受けたのが大林宣彦である。角川は
自らスカウトした原田知世を大林に任せ、『時をかける少女』(1983年)を世に出す。このとき
大林は、「原田知世は天才です」と角川に手紙を書いたという。後に広告にも使用された大林
の感嘆詞は、角川への敬意でもあった▼後年、『この空の花 -長岡花火物語』で長岡を取り上
げた大林も、新人の素質を見抜く力がすごかった。もう一人の新人薬師丸ひろ子も、佐藤純彌
監督の手で「天才」と評価される▼才能は評価されて花開くのであるが、評価してくれる人に巡
り合うかどうかは人の運かもしれない。「天才」を2人も見出すことで、角川は映像と活字を融
合させることに成功。角川文庫は売り上げを伸ばす▼だが好事魔多し。角川はコカイン密輸
事件で懲役4年の実刑を受けた(2000年)。出所後、再度映画にチャレンジするが往年の輝
きはない▼それでも角川の手で活字と映像の2つの文化は、融合し可能性を広げたのは確か
である。(とけいそう)




 記者を募集しています(0258−32−1933:星野へ) 
購読の申込みも同番号へ
トップへ
戻る