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No.882:錦秋
(10月6日分)

食欲の秋になった。ナシ、ブドウ、リンゴなどすべてが美味い。そのうえ山野が燃える紅葉も近
い▼秋の味覚は、昔と違うのであろうか。戦後70年、日本社会は大きく変わったという。確かに
新幹線が生まれ高速道路が生まれた。移動は便利になって人生はさらに豊かになった。携帯
電話も便利である。小さなポケットサイズの機械が、友情を維持し、ビジネスを支える▼だが新
幹線や高速道路が無い時代でも、人は遠距離を移動していた。「移動」だけで考えれば、今も
昔も変わりない。その手段が二本の足から機器に変わっただけである▼先日の満月にして
も、「中秋の名月」として愛でる日本人のDNAは、大昔から変わらない。藤原道長(966〜10
28)は、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の/かけたることもなしと思へば」と詠ったという▼
自らの栄達が満月のように満ち足りているとの道長の幸福感は、驕りや傲慢さも含めて、100
0年を経た今も伝わってきて共感を呼ぶ。1000年の時を隔てても、日本人の心情はそれほど
大きく異ならない。だからこそ、昔の古歌が理解されていくのだろう▼戊辰戦争は長岡を焦土
にした。多くの人命を失ったのであるが、そこに息づいた長岡人の気概は今も変わらない。米
軍機による空襲によっても長岡は焦土になった。だが同様に不死鳥のごとく羽ばたいている。
3日は「米百俵まつり」だった。そのDNAは連綿として変わらない▼もうすぐ紅葉が始まる。秋
の味覚を味わいながら、昔に変わらぬ錦秋を愛でようではないか。(とけいそう)


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