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No.922:夏目漱石没後100年


明治の文豪・夏目漱石は1867年(慶応3)、生まれ。『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』『それか
ら』『門』など多くの名作を遺した▼だが1916年(大正5)に、胃潰瘍のため死亡する。49歳の
惜しい死だった。最後の作品『明暗』は未完である。その死から今年が100年。いろいろの回
想が出てくるようになった▼漱石の生きた時代は、明治維新、大日本帝国憲法発布、日清・日
露の戦争、そして第1次世界大戦など、激動の時代であった。日本人は国家や民族の在り方
を模索していた。何よりも公家ことばや武士ことば、各種の方言から、統一的な日本語への脱
皮を必要としていた▼そのような時代の要請に応えたのが漱石だった。明治人は漱石の著作
を読みその文体を学ぶことで、日本語の容(かたち)を定着させた。だからその文章は100年
以上も前のものでありながら、今読んでも少しも古めかしくない。『吾輩は猫である』の冒頭で
は「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ」と語る。あるいは
「実は職業というものについて、全く考えた事がないくらいなんです」と『こころ』で語って、その
表現は今もみずみずしい▼漱石の長女筆子さんと結婚したのが、長岡の人・松岡譲(1891
〜 1969)である。松岡は漱石の弟子として活躍、『法城を護る人々』他、新鮮な文体を引き
継いだ。その四女末利子さんは小説家半藤一利氏に嫁いで、評論家として活躍する▼死後1
00年を迎えて、漱石の残したものはさらに輝いている。(とけいそう)


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