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愛縁奇縁
No.120:人口減少がはっきりした
次の世代に繋ぐ道


〇人口減少が明確になってきた。新潟県の人口は230万人を切りそうである。
市町村合併が論じられ、長岡市も合併を重ねてきた。最初の合併から10年が経過し、市は
大々的な記念イベントを展開、10年を祝うとしている。それが地域の元気に繋がるはずである
から、大いに賑やかに祝いたい。そして長岡市の合併に明るさを示したいものである。だがや
はり人口のことが気にかかる。

○冒頭の230万人は4月1日現在の推計人口である。4月は転入と転出があり、就職や進学
がある。企業戦士の移動に、若者の新たな人生の門出が重なるのである。だから4月1日現
在で集計しても、4月末までには増加することが多い。それでも大きくは変わらないだろう。
だから推計人口の減少は、合併によっても人口が回復していないことを示唆するのである。
そもそも合併に至る背景には人口問題があった。人口の減少が集落の維持を困難にするの
ではないか。高齢者の介護などを難しくし、地域の安全維持にも支障がでてくるのではない
か。そのような危惧や危機感が合併への原動力だった。

○平成7年当時県全体の人口は248万8000人であった。このときの見通しは、このままで
は平成27年には242万1000人まで減少するとされていた。由々しき問題として、深刻に受け
止められていたのである。しかし、最新のデータでは230万人を切ることが確実になっている。
事態は深刻とされた事情は、依然として改善の傾向にはないことが分かる。
わずかな期間に人口の減少は予想以上に進んでいる。
人口減少は長岡市でも同様である。合併時おおむね29万人強と30万人に迫った人口は、現
在27万7000人にとどまっている。人口だけを見れば、合併の効果はまだ生まれていないこと
になる。

○新潟県が組織した「平成の市町村合併に関する懇談会」(委員長=小西砂千夫関西学院大
学大学院経済研究学科・人間福祉学部教授)は、合併の成果について討議を重ねてきた。そ
の討議内容は本年2月報告書『平成の市町村合併を振り返って』として公表になった。大々的
に行われた県内の合併について、同報告書には詳細な討議と資料が盛り込まれている。
なぜ合併が必要だったのかとして、同報告は大きな論点を纏めている。それは人口の減少や
少子化・高齢化の進展、人口にかかる変化が介護保険などの行政サービス低下に至るので
はないか、市町村の歳入が減少し財政運営に支障をきたすのではないかとの不安、などであ
る。こうした諸々のことが合併への原動力になったとする。
10年経過した今、長岡市政は被合併市町村をよく見てくれているとの声は大きい。地域からの
選出市議会議員がいなくても、今の市政であれば安心との評価がある。

○明治初期の本県人口は全国1位だった。明治18年発刊の『第四統計年鑑』(統計院編纂)で
は明治16年の本県人口を158万6000人とし、これに続く都道府県として第2位に大阪、第3
位に愛媛を挙げている。当時の大阪も愛媛も、現在の大阪府や愛媛県よりも広いエリアだっ
たことを考慮すれば、新潟県の人口は他の追随を許さなかった。だが全国第1位の人口は、
今では大きく変貌した。産業構造の変化が影響している。1次産業から2次産業、3次産業へ
のシフトが他県への人口流出をもたらしたのである。いつのまにか新潟県は労働力供給県に
なった。250万人を超えた人口はその後逓減し、現状では全国で第14位程度の位置に推移し
ている。

○合併10年の記念イベントが近い。これを機に地域の元気につなげる工夫をさらに高めようで
はないか。それが次の世代に繋ぐ道だろう。
(社主)


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No.119:県議会選挙が終わった
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