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モーグルの星野選手・市長を訪問
北京冬期大会の報告

 北京五輪フリースタイルスキー・モーグルに出場し、決勝進出を成し遂げた星野純子選手
が、磯田達伸市長を訪問し、今後の抱負などを語った。前日の3月7日に久し振りに実家に帰
ったばかりだった。磯田市長は「この度は、ご健闘、本当におめでとうございます。素晴らしい
成績で、よかったねー」と称えた。

毎日PCR検査があった

星野選手は「五輪の舞台に立てたことに感謝しています。しかしコロナ下の五輪で、毎日PCR
検査があり、陽性が出たらチームの皆に迷惑がかかると、プレッシャーをものすごく感じまし
た」と、感想を述べた。
 星野選手は、2月3日に行われた女子モーグル予選で6位に入り、開会式翌日の6日の決勝
1回目に進んだ。しかし、わずか0・41ポイント差で13位となり、決勝2回目には進めなかった。
 「ちょっとミスをしました。最初のジャンプで着地してからのターンで、ちょっとばらけてしまっ
て」。それでも「(後で)下からの映像を見たら、左右にはぶれていなくて、まっすぐに降りてきて
いたので、多分減点は少なかったと思う」と、自分の滑りを冷静に分析した説明をした。
 星野選手は、2014年のロシアのソチ五輪に初出場した時は25位だった。16年に大怪我を
して18年の平昌五輪は出場を逃したが奇跡の復活を果たし、若手が台頭する中で、32歳で代
表選手に選抜された。
 「ソチのリベンジはできましたか?」の市長の問いに、「いや、そういうわけでもないです」と首
を少し傾げて笑った。「皆から暖かく迎えてもらい、喜んでももらえたが、もう1回行けたら、本
当に・・・」と、悔しい胸の内も明かした。

引退後もモーグルとかかわる

 星野選手は、今大会を区切りとして現役を引退する。これまでモーグル一筋に頑張って来た
ので、「まだ具体的には考えていないが、今まで培ってきたものを次の世代に伝えてあげた
い。その機会があればお手伝いをしたい」と語った。「星野さんの経験と明るさを生かして、い
ろんなところで子どもに話をしてあげてください。コロナ後の長岡で頑張ろうとする若い人をも
勇気づけられるでしょう」と市長が応じると、「明日、母校の栖吉小学校と中学校に行きます。
秋には未来塾の講師が決まっています」と当面のスケジュールを語った。
 ソチ五輪の翌年、長岡の市営スキー場にモーグルコースを設けて星野選手を招く企画があ
った。それは実現しなかったが、長岡でも子供向きのモーグルコースを作ることは可能だとい
う。「でも、ジャンプなど危険じゃないですか」という市長の疑問に、「大丈夫です。準備を踏んで
段階的にやるので、安全です」と星野選手は断言し、「その時は是非お手伝いをしたい」と、こ
れまでの笑顔をさらに全開にした。

「食べたいのはシュークリーム」

 市長との会見後、報道陣から引退の理由を聞かれた星野選手は「4年前から決めていまし
た」と答えた。他の同世代の選手とともに平昌大会を最後に引退しようと決めていたが、ケガで
出場を逃したので、もう4年間頑張ってきたという。「もうちょっとやれば技術が伸びたとか、い
い滑りが求められるかなとも思う。満足ではないが、一区切りをつける」とし、今後もモーグルと
かかわっていきたいと語った。
 中国からの帰国後1週間の自宅待機で、「テレビで五輪を見る側になり自分で(五輪に)行っ
ていた感が無くなった」。昨日は両親と久しぶりに会い、選手村の食事のことを話したり、両親
のことを聞いたりしてくつろいだという。
 最後に「長岡に帰って行きたい所や、食べたいものは?」と聞かれ、「美松のシュークリーム
です」と即答。「でも(サンキューセールは)終わりましたね」と報道陣を笑いの渦に巻き込ん
だ。


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