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この人に聞く:にいがた貝友会顧問・村山均さん
カタツムリに魅せられた半世紀

 

 国内外のカタツムリ約400種の貝殻を展示した特別展「でんでんむしはおもしろい―みんな
で行こうカタツムリ展」が昨年末まで、市立科学博物館(長岡市幸町2)で開催になり、好評だ
った。
同展は市内在住の元教師で、にいがた貝友会顧問の村山均さん(85)が半世紀以上にわたっ
て集めたカタツムリの標本を展示したもの。 
そこで、カタツムリの研究を続けてきた村山さんに話を聞いた。

科学博物館でカタツムリ展

 村山さんは長年の研究成果である収集した800種近い国内外のカタツムリや貝類の標本9
000個近くを2014年6月、そっくり同博物館に寄贈した。「高齢になったので公共機関に託
し、市民に広く活用してほしい」との思いからという。寄贈を受けて、同博物館学芸員の金安健
一さんが標本の整理を進めてきた。その整理がまとまったことから同博物館が企画して同展
の開催となったもの。
金安さんは「にいがた貝友会」の会長も務めている。金安さんは寄贈を受けたカタツムリや貝
類の標本は、県内の100種、県外の200種、海外の100種の計約400種に整理。カタツム
リの貝殻を会場いっぱいに展示した。さらに標本や豊富なパネル写真で、村山さんの研究成
果を紹介している。
村山さんはカタツムリの生態や飼い方の講演なども行った。内の小学生を始めとして多くの子
供たちが訪れるなかで、カタツムリについて指導もした。

高校の生物クラブ顧問として県内を調査

 村山さんは1930年に中頸城郡の旧谷浜村(直江津市を経て現上越市)に生まれた。子供
のころ、カタツムリはもちろん貝類全体についての興味はほとんどなかったという。
大学へ進学して生物学を専攻した。大学3年生の時にナミマイマイ(ごく一般的なカタツムリ)を
解剖した際に小さな体に対して、複雑な内臓構造に驚く。このことが興味を持ったきっかけとい
う。その後、日本貝類学会にも所属し、貝(カタツムリ)の研究にいそしんできた。
 大学卒業後は生物学の教師として現在の県立長岡農業高校に赴任し、生物クラブの顧問と
なった。生徒とともに県内各地で調査をし、特に海で採集した貝類の標本が多くなったことか
ら、当時国立科学博物館(東京都台東区)の動物研究室に勤務していた波部忠重(はべただ
しげ・1916〜2001)氏から種の同定に協力してもらった。
波部氏は、日本貝類学会名誉会長、日本動物分類学会名誉会員で勲三等瑞宝章を受章。昭
和天皇が収集した貝類コレクションを、黒田徳米らと『相模湾産貝類』(1971年)にまとめた貝
類学会の重鎮である。
  
新亜種「ニイガタシブキツボ」を発見

村山さんは採取した貝の名前を調べるなかで、日本貝類学会の総会にも出席するようになっ
た。そして同会が箱根で開いた陸貝観察会に参加した際に、「新潟県内の陸貝分布の調査は
ほとんどなされていない。興味があるならしてみたらどうか」と勧められ、誰もやっていないなら
と生物クラブの生徒たちと調査を始めたという。
村山さんは「最初は近くの東山連峰で調査を始めました。確か1960年ごろで、今日までずっ
とカタツムリを追い掛けるとは思っていなかったです」と、当時を振り返る。村山さんらの調査結
果は貝類分布の地図に次々と反映され、1968年にはクラブ員がシブキツボを発見する。これ
が全国5番目の産地として認められ、新亜種「ニイガタシブキツボ」として72年に研究発表にな
った。大きな思い出である。
 県立柏崎農業高校に69年に転勤となったが、「そこでも生物クラブの顧問として、貝類の研
究を続けました。クラブ員と一緒に野山を回っていると、長岡農高の教え子たちに会うこともあ
りました」という。「貝友会の会長で市立科学博物館学芸員の金安さんとも、そうした時に会い
ましたね」と振り返る。
金安さんは「私が転勤してから(農高に)入学したので、直接の教え子ではないんですがね」と
話す。それにもかかわらず「今回寄贈した標本類を整理し展示に尽力」してくれたことに感謝す
る。

新種「ムラヤママイマイ」を発見

 71年に明星山(糸魚川市)へ調査に赴いた際、「昼食を摂っていると、カタツムリの貝殻が2
つ落ちているのを見つけました。手に取ると、殻が平たくて今までに見たことがなかったので持
って帰り、波部先生に送って調べてもらいました」と語る。波部氏からは「非常に珍しい。新種
でないか。ムラヤママイマイと名付けて報告します」との返事があり、村山氏は「自分の名前が
付けられるというので、とても驚きました。その後、研究がなされて(学会で)新種として認めら
れました。本当にうれしかったですね」と笑顔を浮かべる。
 73年にはムラヤママイマイの発見などを受けて、村山氏を会長とするにいがた貝友会が発
足した。会では年1回会報を発行することにし、会報の名称には長岡農高のクラブ員たちと発
見し前年に新亜種として認められたニイガタシブキツボから「しぶきつぼ」と名付け、現在まで
発行が続いている。
 その後も貝類の調査を進め、新亜種の発見や和名の提唱などを行ってきた。2000年には
同会の顧問となり、今も研究への情熱は衰えず、ますます盛んである。
 
体が動く限りはカタツムリの調査をしたい

村山さんは「科学博物館で1カ月以上も展示会をやってもらい本当にありがたかったです。金
安さんを始め、送り出した子たちが立派になったのも本当にうれしいです」と笑顔をひろげる。
「これも、たまたま参加した会で陸貝分布の調査をしてみたらと言われたのが始まりでした。不
思議な感じがします」と述懐。
村山さんは、「これからも体が動く限りは、カタツムリの調査をしたいですね」と穏やかな笑みを
浮かべていた。






 
 

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長岡商工会議所丸山智会頭
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