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市内栃尾地区上来伝(かみらいでん)の学問の神様菅原道真を祀る菅原神社(「天神様」・来
伝天神とも)で11月27日、合格祈願祭が行われた。受験生270人が家族とともに参拝、合格 を祈っていた。
受験生らは「合格石」とお札、お守りを受け取ったあと、拝殿で宮司から祈祷を受けた。同石は
雪解け水で洗い浄めてお祓いをした自然石である。「5」「ご」「GO」などを書いて(「五を書く= 合格」)受験のお守りにする。見事合格の際には境内の天神像の前に同石を奉納。お礼参り にするという。
珍しい同行事がNHKの全国放送などで紹介されてからは、県外も含め年間7000人の参拝
者が訪れるようになった。今では同神社に通じる道は「合格街道」と呼ばれる。
参道は「合格街道」、記念の菓子「合格神」も
同祈願祭は1992年に郷土史家の深滝純一さんの提案で始まった。栃尾市役所勤務時代
に、当時の区長から「下来伝にはほだれ祭り、栗山沢にはしだれ桜がある。上来伝でも地域 興しのため何かできないか」と相談があり、「合格石」を思いついたという。しかし、今のように 「五角(合格)鉛筆」や「貫通石」などの受験グッズが広まっていない。提案を受けた地区の役 員たちも意味が分からず、きょとんとしていた。それでも、青年団のリーダー的な1人が「おもし ろい、やってみよう」と声をあげたところ、「いい意味で、皆が付和雷同して賛成してくれました」 と振り返る。
1回目の祈願祭は、菅原道真の命日に近い2月下旬に行った。大雪で社殿の屋根から落雪が
続き、「雪が落ちた!」とだれかが叫ぶと「今日は『落ちた』と言うな」。「雪が滑った!」と言えば 「『滑った』は禁句だ」と、笑い話のようなこともあった。
そんな大雪の中で、宣伝もしないのに数十人の参拝者があり、祈願祭を毎年続けることになっ
た。その後開催日は、降雪前の11月第4週の日曜日に変更した。菓子(「合格神」)も創った。 天神様の像と「5 ご 合格」の文字が入って好評である(十字屋菓子店・栃尾本町)。これも深 滝さんの提案という。
福島や東京からも参拝に
同祈願祭では、長岡市内はもちろん新発田、聖籠など県内、長野、埼玉、千葉、福島、東京と
県外からも参拝者が集まった。早朝から長い行列ができたため、開始予定時間を30分繰り上 げての参拝になった。
宮司の佐藤光守さんは「ここ来伝は、冬は寒さが厳しいが、そのおかげで美味しい米が採れま
す。皆さんも稲に負けないよう、厳しさに耐えて努力を続け、めざすところへ行けるよう祈念しま す」と励ました。そして天神さまこと菅原道真が不遇の中でも国家の将来を考え続けていたこと を紹介。「世のため人のために尽くして欲しい」と期待を込めた。
太鼓の連打で受験祈願の神事が始まり、お祓いのあと無作為に選んだ受験生代表が玉串
拝礼をした。
上来伝の名前を広めたい
諸橋区長は「天神様は昔から学問の神様だったので、合格祈願祭は特別のことではない」と、
拡大することには慎重だ。それでも各地からパンフレットの請求や問い合わせが絶えない。
新潟から来た婦人は「孫が4人いるので、毎年ここにお参りに来ています」話す。佐藤亜実さん
は福島県いわき市の中学生。「地震で親戚の家に避難していました。いわきに戻って高校受 験を迎えたので、ここにお参りに来ました」という。
だが、若者がいないことは苦労が多い。「全戸で29軒、住民は百人いるかどうか。今の人たち
でがんばらねば」とし、「上来伝の名前を大勢の人に知ってもらいたい」とする。「この地域の米 は、魚沼米に負けない。品評会では金賞が出た。次には最高賞を取って上来伝の名前を広め たい」と、前向きである。
同地区は逸材も多い。明治天皇に進講した真言宗豊山派の僧侶大崎行智師や、獣医学の権
威椿精一博士(日本獣医師会8代会長)などである。深滝さんは、これらの人物の業績を長岡 市民に広く知ってもらうため、評伝を書く予定という。
上来伝は元気である。
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