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地域の話題
瑞鳥・鳳凰が酉年に吉を呼ぶ
2017年は酉年。酉年には身近な鶏や話題の朱鷺などを思い浮かべるが、吉を呼ぶ瑞鳥(ず
いちょう)とされる鳳凰(ほうおう)も忘れ難い。伝説上の鳥ではあるが画家の手で今も描かれ、 市内にもいくつもの佳品が残る。
そこで、「鳳凰」の絵馬が残る市内上除町(かみのぞきまち)の「八幡宮」を訪れ、『朝日鳳凰
図』の絵馬を取材した。
渡邊綱山(「不老」)作の鳳凰の絵馬
同絵馬は縦60a、横70aほどの大きさで、樹上から翼を広げ日輪を仰ぐ鳳凰の姿を描く。作
者は市内大積町に生まれた画家で俳人としても知られた渡邊綱山(画号=「不老(ふろう)」・1 886年〜1975年)である。
同絵馬について、長岡市立科学博物館が91年に発行した同館報「NKH」第59号は、「朝日に
はばたく樹上の鳳凰をあらわす。鳳凰は古代中国の想像上の瑞鳥。聖徳の天使の兆しとして 現れると伝えている」とし、「本額は皇太子殿下(現天皇)御誕生記念に、地元の曙会が寄進」 したと解説している。
額には「昭和九年五月吉祥曙會」と彫り込んである。
作者の網山は「不老」と号し、絵・俳句ともに全国に名を馳せた。大正11年度の『日本繪画評
價番付』や昭和5年度の『全国好評画家壹百名選抜名鑑』には川合玉堂や川端龍子らと並ん で名が載るほどだった。
郷土が生んだ絵師の絵馬は、同宮で今も異彩を放っている。
1000年に近い歴史を持つ八幡宮
『わたしたちの八幡さま』(昭和54年刊。上除町八幡宮整備委員会代表五十嵐信雄氏発行)に
よれば、上除村が開かれた際、住民により産土神が祀られたことが始まりとされる。「除き(の ぞき)の八幡宮」とも呼称した(除=神聖な場所)。
1083年(永保3年)には源義家が通行。このとき勧請合祀で「八幡宮」と称呼されたのではな
いかと伝わる。江戸時代には牧野家が上除に津留番所を置き、領内への出入りを厳重にチェ ックした。同様の番所は上除のほか、妙見、川袋、猿橋、見、市谷などにあったが、上除は 高田藩領(後、上ノ山藩領)に隣接することから重視。特に駅場を併設し人夫25人、馬25頭を 常置したという。
古来交通の要衝であった地に立地する同宮は、こうして1000年に近い歴史を刻んでいる。
同宮には「不老」作の絵馬のほか、『牡丹に錦鶏図』(奉納=明治9年)『神馬図』(同=昭和7
年)『素戔鳴尊八岐大蛇退治図』(同=不詳)など、馬や雉(キジ)の絵馬が奉納されている。昭 和9年には、同宮の参道踏石が新しく設けられた。
現在の境内には、大東亜戦争(太平洋戦争)での戦没者名を刻んだ「大東亜慰霊碑」や、皇太
子殿下(現天皇)御降誕記念樹(昭和8年12月植樹)、明治百年記念樹などがある。
地域の本当の宝
同八幡宮は地域の宝として代々守られ、引き継がれてきた。地域の季節行事などでは、住民
らの交流の場になっている。
同町内会長で氏子総代の太刀川勇さん(78)は、境内には百度石があるという。「願いをかけ
て、現在も『お百度詣り』に来る人がいる」と話す。願いがかなったお礼に木製の白馬を同宮に 奉納した例がある。木製のため時が経つとともに朽ち果ててしまったが、太刀川さんは「私が 幼い頃に、子ども達がよく白馬で遊んでいた」と話す。
93年には改修工事をして内観が美しくなった。屋根瓦には住民らの願い事や名前を書いて新
調した。「昔のものを守っていくのは大変」と話しながらも太刀川さんは、「少子高齢化でも若い 人に引きついていかなきゃいけない。皆さんに守って頂きたい」と話している。
同宮の佇まいのなかに住民の記憶が生きている。
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