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長岡市長選挙(その1) 現職・森民夫氏に聞く


いよいよ市長選挙がはじまる。告示は11月1日。投票日は8日で開票は即日、長岡市市民体
育館大アリーナで行う。10月13日には選挙管理委員会が立候補予定者への説明会を行った。
告示前であるが、すでに選挙ムードである。現職の森民夫氏(66)=無所属=と藤井盛光氏
(37)=無所属=が立候補する現職と新人の一騎打ちになり、8年ぶりの選挙戦になる。
 そこで両候補に話を聞いた。

現職 森民夫氏

 森氏は、長岡高校、東京大学工学部を経て建設省に入省。1999年の市長選に立候補して
当選。以来市長職にある。建設省にいた40代後半、中国の住宅技術指導リーダーとして北京
で暮らしたという。「私がいることで長高の同級生や知人が大勢、北京に観光に来ました。その
とき、みんなに『長岡に帰って来い』と説得された」のが契機になって48歳で建設省を退官。長
岡に戻った。

まちは人が創る

「大学進学で東京に出てから長岡のことは知らない」ため「2年間は草の根の運動をやろうと思
った」と振り返る。「朝6時に起きて農家を訪ね、家に上がりこんで世間話をする日々でした。小
さな工場も訪ねた。深い意味で『生活』がわかりました。その栄養がいまも生きています」と語
る。
 建設省では「HOPE計画」プロジェクトを担った。「最も思い出に残る仕事」という。同プロジェ
クトは「地方都市が特色を生かして、住民主体で町創りをするもの。有田町(佐賀県)ではボラ
ンティアの人たちが『町じゅうを有田焼で飾ろう』と活動した」という。「町づくりは十町十色であ
る。行政は出しゃばらない、『まちは人が創る』が基本です」とする。これが森氏の原点であり、
「私の姿勢は一貫しています」と強調。「アオーレ長岡はその集大成」だった。
アオーレ長岡の建設は、「中心市街地の活性化だけが目的ではなかったのです。市民の皆さ
んは歌や踊りを披露できる晴れの場を望んでいる。自己表現の時代ですからね。市民が喜ぶ
活動を市民のアイディアで創る。そこに市役所があることで垣根がなくなる」ことを考えた。だか
ら「毎回盛り上がる『高校生長岡ラーメン選手権』はその象徴的なイベントです」と強調する。

「長岡から来た」といえる市にしたい

ガラス張りの市長室からはナカドマが見える。オープンテラスでは学校帰りの高校生たちが勉
強している。市長が手を振ると、高校生が手を振り返す。町の真ん中で笑顔の交流が生まれ
る。これこそ森氏が描いていた町の風景である。
 長岡高校時代は優等生、生徒会長でもあった。だが「お山の大将が東大に入って、長岡出
身といっても誰も知らない。コンプレックスの塊になった」という。「灘、日比谷、ラサールの出身
者に会って、頭の構造が違うと思った」ともいう。だからこそ「子どもたちが全国そして世界に行
ったとき、胸を張って『長岡から来た』といえる市にしたい」と、思いを語る。「真珠湾で花火を上
げたのも、アオーレを造ったのもその思いが根底にある」からこそである。
 昨年度、アオーレの視察・見学者は339団体、5604人に上った。花火に訪れる企業人、著
名人も年々増えている。それを機に交流がはじまる利点もある。タニタ・カフェが長岡にできた
のも花火がきっかけだという。

次の4年で開花させたい

「合併で財産が増えました。錦鯉の8割が輸出です。16もの酒蔵がある市は長岡と京都くら
い。美味しい栃尾のあぶらげ。良寛様の短歌は翻訳されて海外でも人気です。長岡を含めた
11の地域が全員野球というか、全員サッカーでいいところを出し合い、総合力を発揮していく」
ことを目指してきた。
「16年間、布石を打って来た。次の4年で開花させるのが私の務めです」と、5選への抱負を語
っている。
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