長岡新聞:トップ
社主のプロフイール 
購読の申込みメールでOK。 1か月1851円です。
ライターを募集しています(0258−32−1933:希望の方は星野へ) 
新刊案内『長岡築城物語』、『いい湯めぐり温泉紀行』:詳しくはこちら
川柳、俳句、短歌に投稿しませんか:詳しくはこちら

悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.1047:長生橋の思い出
(6月20日分)

轄]口だんご現会長の江口賢司さんは、長生橋への思い入れが強い。思いは空襲に遡る。
橋のおかげで命があると語る▼1945年8月1日の米軍機による空襲で長岡市街は焼失し
た。空襲がやんだあと、江口さんは母親に手を引かれ、弟と長生橋を歩いて渡ったという。当
時父親は出征中だったが川西の方へ避難しようとしたのである▼橋の長さは1`bに近い。
袂までの距離を含めれば1`b以上を小学生が歩いた。周囲には累々と焼死体があり、焼夷
弾の残骸があちこちの地面に刺さっていた。まだ火がくすぶる中を歩いたという▼幸いなこと
に鋼鉄製の長生橋は燃えていなかった。江口さん一家はそのまま脇野町で数年間を過ごすこ
とになるが、橋を渡ることで一家は命を繋ぐことができた。長生橋のおかげであると、江口さん
は述懐する▼江口さんの会社は1902年創業。和菓子・郷土料理・甘味処の老舗である。祖
父が創業した時は、長生橋の真ん中の中州で茶屋を営んでいた。当時の長生橋は木造。信
濃川の中州を挟んで東西を結び、行き交う人で茶屋は賑わっていた。その賑わいを水島爾保
布(にほふ・1884〜1958)は「長生橋の図」に描き、江口さんの茶屋を真ん中に描いた▼江
口さんはその茶屋を店のルーツとして大切にしている。中州は消えたが、江口さんの店は爾保
布の絵に遺っている。そのことが江口さんの思いをいっそう強める。そして空襲でも焼け落ちな
かった橋をわがことのように愛おしみ感謝する▼長生橋は今年80年。様々なことを繋いでい
る。(とけいそう)

ライターを募集しています(0258−32−1933:希望の方は星野へ) 
購読の申込みも同番号へ
トップへ
戻る