長岡新聞:トップ
社主のプロフイール 
購読の申込みメールでOK。 1か月1851円です。
新刊案内『長岡築城物語』、『いい湯めぐり温泉紀行』:詳しくはこちら
川柳、俳句、短歌に投稿しませんか:詳しくはこちら

悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.867:長岡花火
(8月4日分)

「花火ひらく亡き友の顔友の声」(古賀まり子)▼今年も長岡花火が大きな余韻を残して終わっ
た。1841(天保12)年に、移封命令の取り消しを祝って打ち上げたのがはじまりという。この
前年、武蔵国川越藩を出羽国庄内へ、庄内藩を越後国長岡へ、長岡藩(当時藩主は牧野忠
雅)を川越へ転封する幕命がでた。天地がひっくり返る騒ぎだった。その取り消しを祝った花火
が今に続いている▼花火大会は、正三尺玉が1926(大正15)年、スターマインが翌年登場し
たが、38(昭和13)年からは戦争のため中止になる。再開は47(同22)年、戦災復興祭のときで
ある。以後日本一の花火大会として全国に喧伝した。今年は正三尺玉が3連発で登場するな
ど、大型花火のオンパレードだった。名実ともに日本一の花火大会であり、誇りである▼だが
長岡花火は哀しみの花火でもある。始まりは慶事であったにしても、戦後は空襲で亡くなった
人への鎮魂である。家族の声、友の顔、それらが花火の煌めきの間に垣間見える。その心を
もっともよく表すのは、「白菊」だろう。長い光の帯を流し大きくしんなりと静かに開く。なおいっ
そう涙を誘う▼「白菊」は花火玉が開いて広がる時間がほんの少しだけ長い。そのために火薬
の調合と花火玉を包む和紙に気配りする。繊維質が多く漂白していない手すき和紙があの時
間を生む。制作者の嘉瀬誠次さんはシベリア抑留で帰国できなかった仲間のために打ち上げ
たという▼長岡の夏はまだまだ暑く、鎮魂の思いはもっと長く続く。(とけいそう)

 記者を募集しています(0258−32−1933:星野へ) 
購読の申込みも同番号へ
トップへ
戻る