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今年は良寛を師と仰いだ貞心尼の150年忌に当たる。貞心尼遺構整備事業実行委員会(安
達武男委員長)では、貞心尼の遺構を整備するとともに、150年忌に合わせて銅像を設置す るべく各方面へ浄財の寄付を呼びかけてきた。多くの協力を得て4月11日、真言宗真福寺(福 島町)住職による150年忌法要の後、貞心尼草庵こと閻魔堂(福島町)で「没後150年忌記念 貞心尼像」を除幕した。像は、伏しめがちの目線で手のひらに置いた手毬を見つめている。貞 心尼の座像はひときわ輝きを放っていた。
制作は彫刻家の江尻昭子さん。江尻さんは仁科会彫刻部委員、日本美術家連盟会員で長岡
市深沢町在住である。モデルは貞心尼の子孫の岡村恭子(旧姓奥村)さんがつとめた。
新潟良寛会会員で篠笛奏者田村優子さんが叙情豊かに演奏する中、地元の新組小学校6年
生が勢揃いして除幕した。代表者4人が紅白の綱を手に取ると、会場からは「ひぃ、ふぅ、み ぃ」と合図の声が湧いた。
岡山からは良寛椿の苗木が贈呈される
同実行委員会委員長の安達武男さんは「大勢の皆さん、267人の方から温かいご支援とご寄
付を頂きました。岡山、群馬、茨城、富山からも駆け付けてくださった。天候に恵まれて感謝し ます。像は、手毬を持って良寛様に会いに行く、思いを馳せている姿だそうです。作家の江尻 昭子さんが構想をめぐらして制作しました」と語った。
磯田市長は「多くの人の志で、今、桜が満開の中、天然記念物の大欅も芽吹き始めたこのよ
き日に、閻魔堂に造って頂いた。長岡市より感謝申し上げます」と関係者や祝福に集まった地 元住民をねぎらった。
除幕に合わせて、良寛が修業した岡山県倉敷市玉島柏島の「良寛椿の会」から、円通寺覚
樹庵跡にそびえる樹齢約200年の「良寛椿」を挿し木した苗木の贈呈も行われた。普通の椿 と違い花びらが、ひとひらひとひら舞い落ちるという珍しい種類とのこと。目録が地元福島町の 「貞心尼思慕会」会長の風間俊雄さんに手渡された。後日、閻魔堂に植樹し整備する予定とい う。同会は貞心尼が居住し、ここから良寛の下に通ったという同堂を平成7年、再建している。
仏教者という凛とした生き方、近代を生きた人
貞心尼は長岡藩士奥村家の5代奥村五兵衛の次女ますとして寛永10年(1798)に生まれ
た。文学好きの美貌の少女だったと伝わる。
17歳の時、乞われるままに北魚沼郡小出島の医師関長温に嫁す。だが文政3年(1820)に
離別し長岡に帰り、柏崎で眠龍尼・心龍尼の弟子になった。
良寛との出会いは閻魔堂に移った文政10年(1827)の秋である。良寛を訪ねて教えを乞うた
貞心尼は天保2年(1831)、良寛が示寂するまでの4年間、和歌や仏道の教えを受けるため 良寛の元へ通った。良寛の死後は互いに交わした和歌その他をまとめ天保6年(1835)、 『蓮の露』を著している。
貞心はその後不求庵(柏崎市)に移り、明治5年(1872)75歳で没した。
小島正芳全国良寛会会長はあいさつの中で、「貞心尼がいなかったら、良寛はこんなに有名
になっていなかったかもしれない」と述べた。そして「40年前私が訪れたときは貞心尼の歌碑と 大欅、なんと立派なのだろうと思いました」と回顧し、『蓮の露』を残した偉業と貞心尼の生き様 を語った。「仏教者という凛とした生き方、近代を生きた人」と思いました。長岡の武士の娘とい う精神があったのではないか。良寛との心のこもった交流や、『良寛道人遺稿』の龍海院蔵雲 和尚の木版出版に際して貞心尼は非常な協力をしている。貞心尼がいなかったら、良寛はこ んなに有名になっていなかったかもしれない」と、貞心尼を回顧。「立派な作品が設置され、大 変慈悲に満ちたお顔をされている」と感謝。重ねて「おめでとうございます」と祝福した。
貞心尼の実家、奥村家12代当主の娘さんがモデルに
貞心尼には子供がいなかった。そこで貞心尼の実家奥村家の第12代当主奥村恭八郎(13年
前に73歳で他界)の娘で市内在住の岡村恭子さん(旧姓奥村)がモデルになった。岡村さんは 「江尻さんがとてもきれいにしてくださった。父は貞心尼と良寛のことをよく調べていましたの で、生きていれば今の姿をとても喜んでくれたと思います」と述べている。
彫刻家の江尻さんは「子孫の方がいらっしゃると聞いて紹介してもらいました。全体の雰囲気
を大事にしたいと思い(制作には)苦労しました」と話した。
新しい観光スポットがまた一つできました
小林立憲・新組地区連合町内会会長はあいさつに立ち、「ここは八丁沖と呼ばれ戊辰戦争の
激戦区」でした。「2日前も畑で鉄砲の弾が出てきました」と話した。そして「ここには北越戊辰 戦争伝承館と長谷川泰の像があります。そこに貞心尼の像もできて新しい観光スポットがまた 一つできました。6月になると八丁沖を半日かけて歩き、地域の歴史を知ろうという取り組みが ありますので、皆さんぜひ来てください」と語りかけていた。
全国良寛会会員で詩人の黒羽由紀子さん(茨城県)は「像ができて心尼さまは感謝されている
と思います」と話し、「良寛さまと貞心尼さまのやり取りを現代詩(『待ちにし人は来たりけり』)に しましたが、何とも清らかなお心であると共鳴いたしました。心と心の結びつき、貞心尼さまは 輝いていたなあと思います」。「良寛さまが示した『愛語』を広げていけたら、いじめや虐待、戦 争などはなくなるのではないでしょうか」と語っていた。
貞心尼の像が無事に除幕できたことに牧野忠昌ご夫妻や櫻井カツエさんなど、来賓の皆さん
は等しく笑顔だった
詳しくは星野まで。(0258−32−1933) (naganews@crest.ocn.ne.jp)
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