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悠久録(過去の悠久録はこちら)
No.790:空襲の殉難者は1485人
(8月9日分)

長岡まつりは慰霊の祭りである。空襲の殉難者の御霊を慰めるのが花火である。昭和25年発
行の『長岡戦災復興五年史』では殉難者を1143人としていた。しかし、この数字は戦後間も
なくに調査されたためであろうか、漏れが多くあったようである。長岡市助役を勤めた笠輪勝
太郎氏が昭和44年から20年近い年月をかけて改めて整備された▼笠輪氏は300余人を新た
に追加し1461人とした。昭和62年に長岡市が発行した『長岡の空襲』に採録になっている。
笠輪氏は昭和41年に助役を退任しているから、名簿の整理は一民間人としての調査だった。
空襲で市役所が焼失し戸籍簿が失われている。大変なご苦労をされたであろう▼その後、昭
和62年に12名を追加。昭和25年に11名を追加したほか、必要な修正も行った。こうして平成25
年発刊の『語りつぐ長岡空襲―長岡戦災資料館十周年記念誌―』では1484人としたが、今
年の追加で1485人となった▼名簿は学校区ごとに区分され氏名のほか、生年月日、年齢、
本籍地と死亡日時、場所が記載されている。1歳から記載があり、乳飲み子も悲惨な運命にあ
ったことを偲ばせる。本籍地には本町や殿町、表町など中心部の町名が並ぶ。そうした中に
東京都が本籍地の氏名も多い。疎開してきて、殉難したのであろうか▼土日に恵まれた長岡
まつりは、花火客が100万人を超えたという。花火のきらめきは観客に満足を与え、明日の元
気を提供したが、改めて殉難者の名簿を観るとき、やはり言葉に詰まる。(とけいそう)
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