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悠久録(過去の悠久録はこちら)
(8月30日分)
藤井宣正(1859〜1903)は、旧与板町の真宗本願寺派・光西寺に生まれた。父宣界は本
願寺派の最高学位である「勧学」をつとめた俊英である。父の手ほどきを受けたのであろう。 宣正は東京帝国大学哲学科に入学する▼同窓に旧越路町の真宗大谷派・慈光寺の次男井 上圓了(1858〜1919)がいた。2人は交友を重ね、共に海外へ見聞を広げる。圓了は東洋 大学を創設したが、宣正は本願寺大谷光瑞師(1876〜1948)の指示でイギリスへ留学す る。そして仏典を求めて中央アジアからインドまで、広範囲な探検に歳月を費やした。世にいう 「大谷探検隊」である。当時はオーレル・スタイン(1862〜1943)が敦煌(とんこう・中国奥 地)で大量の仏典を発見した時期である。病弱な宣正であったが、探検隊の中核としてかけが えのない研鑽の日々を過ごす▼宣正はインドへの探検も行う。このとき圓了と再会した。旧交 を温めた2人は何を語ったのだろうか。宣正はその後、再びロンドン留学を命じられ、インドか ら直行するのであるが、マルセイユ(フランス)で客死してしまう。それでも宣正のおかげで、仏 教伝来の全貌は見えてきた。島崎藤村の『椰子の葉陰』は宣正の事績を小説化したものという ▼東洋大学の駅伝部は山古志で毎年合宿する。適度な傾斜と標高が最適とか。さらには創業 者の故地への支援もある。元村長が縁あって同大理事長に就任(2009〜12)した。長岡が生 んだ2人の宗教家は、いまもなお温かな人の縁を創っている。(とけいそう)
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