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金峯神社:古来より伝わる王神祭
サケを鳥居の形にさばく

 金峯神社(西蔵王2・きんぷじんじゃ)で5日、秋の実りへの感謝や子孫繁栄などを願う伝統
行事「王神祭」(おうじんさい)が開かれた。同神事は県の無形民俗文化財にも指定されてい
る。メスのサケを鳥居の形にさばき神前に捧げる年魚(ねんぎょ)行事をはじめ、古来より伝わ
る祭事が執り行われ、参列者たちは神妙な面持ちで見守っていた。

氏子や地元住民とともに守り続けた祭儀

 同神社は、元明天皇の勅願により709(和銅2)年、北国鎮護のために大和国(現在の奈良
県)吉野の蔵王権現を模して、楡原(旧栃尾市)に創建されたと伝えられている。その後、又倉
村(現在の蔵王)に移った(遷座)。同神社を中心に形成された門前町が長岡の原点となって
いる。このため、現在も市民から「蔵王様」の愛称で親しまれ、流鏑馬(やぶさめ・疾走する馬
に乗りながら矢で的を射る)や王神祭などの伝統文化を継承している。
 王神祭は、稲作と漁業、酒造りを伝え長岡の地を開拓したとされる大地主命(おおとこぬしの
みこと)に感謝して行われている。大地主命は王神と称され、金峯神社内に祀られる又倉神社
の御祭神となっている。古来より王神祭は続けられ、江戸時代には旧長岡市の多くの町村が
数年がかりで行っていたが、明治維新後には財政難などで中断された。
 明治半ばごろに、年魚行事を中心とした現在の形に規模を縮小して復活し、毎年11月5日に
行われるようになった。神具や調度品、作法が古い形を残していることから、県の無形民俗文
化財の指定を受けている。氏子や地元住民らが祭儀に協力し、コロナ禍でも参列者を限定し
行われた。

桃生宮司がサケを恩念切りで鳥居の形に

 コロナ禍が落ち着き、日曜日に当たったため氏子や地元住民らだけでなく市外からも見学者
が訪れた。神前には、米俵と酒、正月に食べる魚として生活にも密着している信濃川で獲れた
サケ、大地主命が教えたとされる長岡を代表する食物が供えられた。
 中央に置かれたサケを桃生鎮雄宮司が、手をふれず2本の鉄はしで押さえながら包丁を使
いさばく恩念切り(おんねんぎり)と呼ばれる手法で鳥居の形に整えた。恩念切りには、平安時
代からの包丁儀式の影響も見られ、参列者たちは興味深そうに桃生宮司の動きを見ていた。
 その後、桃生宮司による祝詞奏上や末広舞の奉納、かつては「婚交の神秘」として人に見せ
なかったという示鏡(しきょう)行事などが行われた。神事を終えると、桃生宮司は参列者に祭
儀についての説明をしていた。
 桃生宮司は「王神祭は県の文化財でもあり、無事に終えることができ大変重い責任を果たせ
たと安堵している。季節感や伝統文化を感じる行事は家庭でやらなくなっており、少しでも伝え
ていければと思っている」と語っていた。コロナ禍前まで年魚行事でさばかれたサケは雑煮に
して振る舞っていたが、「準備が追い付かず今年は残念ながら中止とした。来年は復活できる
ようにしたい」と話していた。
 また、8月末ごろまで風鈴が飾られていた参道には季節を感じてもらおうと風車を設置してい
る。3日には境内にある蔵王地区集会所で「神社deマルシェ」を、AKJプロジェクト(新町神田
を盛り上げる女性の会)とともに初めて行った。

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